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神戸地方裁判所 昭和55年(ワ)1221号 判決 1982年10月28日

原告

松井恭子

被告

東根一

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し、金四二万三、二四九円およびうち金三八万三、二四九円に対する昭和五六年七月一六日から、うち金四万円に対する昭和五七年一〇月二九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は一〇分し、その一は被告らの負担とし、その余は原告の負担とする。

この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは各自原告に対し、金四七七万六、二二六円およびうち金四四七万六、二二六円に対する昭和五六年七月一六日から、うち金三〇万円に対する昭和五七年一〇月二九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1につき仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告は左記交通事故により受傷した。

(1) 日時 昭和五二年一一月三日午前一〇時五〇分ころ

(2) 場所 神戸市葺合区布引町四丁目公有地先交差点

(3) 加害車両(甲) 普通乗用自動車(姫路五五る八八一二号)

運転者 被告東根一(以下、被告東根という。)

同乗者 原告

(4) 加害者両(乙) 普通乗用自動車(神戸五六つ七六九〇号)

運転者 被告西紋重敏(以下、被告西紋という。)

(5) 事故の態様 右に転回しようとする加害者両(甲)と直進する加害車両(乙)が衝突した。

(6) 受傷の内容 (イ) 外傷性頸部症候群

(ロ) 昭和五二年一一月五日から同年一二月二九日まで山内病院に通院、昭和五三年一月一〇日から同年三月三一日まで栗田病院に通院、同年四月一三日から同年五月三〇日まで中山外科に通院、同年六月一九日から昭和五四年一〇月一二日まで近藤病院に通院、同年一一月から昭和五五年四月まで朝霧病院に通院、同年七月一五日から昭和五六年六月一二日まで兵庫医大病院に通院。

(ハ) 昭和五六年六月一二日症状固定(後遺障害等級一四級一〇号)

2  責任原因

被告東根は、転回禁止の場所で転回した過失があり、被告西紋は、前方注視を怠つた過失があるから、被告らは、民法七〇九条所定の責任がある。

3  損害

(1) 治療費 金一三一万三、七七〇円(文書費金四〇〇円を含む。)

(2) 通院交通費 金二七万九、四一〇円

(3) 逸失利益 金三四三万一、八四六円

(イ) 就労遅延による損害 金一二三万七、二〇〇円

原告は、本件事故当時、和裁学校の生徒であつたが、本件事故によつて受けた受傷の治療のため、昭和五三年三月末卒業予定のところ、一年間卒業が遅れ、就労が遅れたことにより、月額金一〇万三、一〇〇円のうべかりし収入を失つたから、その損害額は金一二三万七、二〇〇円(103,100円×12月=1,237,200円)である。

(ロ) 休業による損害 金一九二万八、四二六円

原告は、和裁学校を卒業してから月額金一四万三、二〇〇円の収入を得ていたところ、本件事故による受傷の通院治療のため、昭和五五年三月一日から昭和五六年六月一二日まで(四〇四日間)休業を余儀なくしたから、その損害額は金一九二万八、四二六円(143,200円÷30日×404日=1,928,426円)である。

(ハ) 後遺症による逸失利益 金二六万六、二二〇円

原告は、後遺症により労働能力の五パーセントを喪失し、三年間継続するものというべきであるからこれにより逸失利益を算定すると金二六万六、二二〇円(147,900円×12月×3年×0.05=266,220円)となる。

(4) 慰藉料 金二五七万一、二〇〇円

(イ) 通院中の慰藉料 金一七一万七、四二〇円

(ロ) 後遺症慰藉料 金八五万三、七八〇円

(5) 損害の填補 金三一二万円

原告は自賠責保険から金三一二万円の給付を受けた。

(6) 弁護士費用 金三〇万円

4  結論

よつて、原告は被告らに対し、前記(1)ないし(4)の合計額金七五九万六、二二六円から(5)を控除した金四四七万六、二二六円と(6)の合計金四七七万六、二二六円およびうち金四四七万六、二二六円に対する本件事故発生の日の後である昭和五六年七月一六日から、うち金三〇万円に対する判決言渡の日の翌日である昭和五七年一〇月二九日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うべきことを求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  被告東根の認否

1 請求原因1の(1)ないし(5)は認めるが、(6)は知らない。

2 同2は認める

3 同3の(5)は認め、その余は知らない。

(二)  被告西紋の認否

1 請求原因1の(1)ないし(5)は認めるが、(6)は知らない。

2 同2のうち被告東根の過失の態様は認めるが、被告西紋の過失は否認する。本件交通事故は、直進中の被告西紋運転の加害車両(乙)の進路前方に、右折・転回禁止場所を無視して、被告東根運転の加害車両(甲)が急に右折進入したため発生したものであるから、被告東根の一方的過失によるものであつて、被告西紋に過失はない。

3 同3の(5)は認め、その余は知らない。

三  抗弁

(一)  被告東根の抗弁

1 消滅時効の完成

本件交通事故は昭和五二年一一月三日発生したものであるが、原告は、当時、損害および加害者を知つていたものであるから、それから三年を経過した昭和五五年一一月二日には消滅時効が完成した。被告東根は右時効を援用する。

2 好意同乗・過失相殺による減額

原告は、被告東根の運転する加害車両(甲)に同乗して、和裁学校の文化祭に赴く途中に本件事故が発生したものであるが、被告東根が和裁学校の道順を知らなかつたところから、本件事故現場を通過しようとした際、原告から突然右に転回するよう指図を受けたので、転回措置をとつたところ、加害車両(乙)と衝突して本件交通事故が発生したものであつて、原告は、加害車両(甲)の運行について、運行供用者の一面を有し、好意同乗者として、また、本件事故は原告の不注意も起因するものがあるから、過失相殺により、損害額について、相当の減額をすべきである。

3 示談の成立

被告西紋の示談成立の抗弁を援用する。

(二)  被告西紋の示談成立の抗弁

原告は、昭和五二年一二月七日、被告らとの間において、本件交通事故による損害賠償請求権について、原告において被告らの自賠責保険の保険金の請求をし、これを受領することによつて解決ずみとし、被告らに対し、その余の一切の請求権を放棄する旨の示談が成立した。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件交通事故の発生について

請求原因1の(1)ないし(5)は当事者間に争いがなく、この事実と成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証、乙第二号証、被告西絞、同東根および原告本人尋問の結果によれば次の事実を認めることができる。すなわち、本件事故現場は、南北に通ずる道路と東西に通ずる道路が、ほぼ直角に交差する信号機によつて交通整理の行なわれている交差点であつて、右折禁止場所であるが、南北に通ずる道路は、幅員約二メートルの中央分離帯によつて、南行車線と北行車線に区分され、南行車線の幅員は約一三メートルで四車線からなつており、アスフアルトで舗装された路面は平担かつ乾燥していて、前後の見とおしは良好である。被告東根は、加害車両(甲)を運転して、その助手席に女性一人を乗車させ、和裁学校の塩原学院の文化祭に赴くため、一たん国鉄三宮駅前まで行き、同所で原告を含む女性三人を後部座席に乗車させ、南北道路の南行車線の中央分離帯から二車線目を南進し、時速約二〇キロメートルに減速して、本件交差点を右折し、北行車線に入つて北進しようとし、本件交差点入口付近から北に約二八メートルの地点で方向指示器を右に上げて進行し、右後方の安全を十分確認しないまま、本件交差点を右折しようとしたところ、本件交差点内の南行車線の中央分離帯から一車線目のところで、折柄、同車線内を南進してきた加害車両(乙)の左前部に自車右側後部ドア付近を衝突させた。被告西絞は、南北道路の南行車線の中央分離帯から一車線目を加害車両(乙)を運転して、時速約四五キロメートルで南進中、左前方の安全を十分に確認しないまま、本件交差点を通過しようとしたため、折柄、南行車線の中央分離帯から二車線目を南進していた加害車両(甲)が左前方約一九メートルの本件交差点入口付近で方向指示器を右に上げているのにはじめて気づき、さらに自車が約一三メートル南進した地点で、加害車両(甲)が自車の車線内に右折して進入するのを発見して危険を感じ、急制動の措置をとつたが間に合わず、自車左前部を加害車両(甲)の右側後部ドア付近に衝突させた。以上のとおり認めることができ、右認定に反する被告西絞本人尋問の結果は信用できないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、成立に争いのない甲第六号証第八号証の一、二、第九号証ないし第一一号証、乙第三号証ないし第六号証と原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故後、頭痛、目まい、頸部痛などの症状を訴え、昭和五二年一一月五日から同年一二月二九日まで山内病院において、「頸部挫傷」の病名で通院治療を受け、昭和五三年一月一〇日から同年三月三一日まで栗田医院において通院治療を受け、昭和五三年四月一三日から同年五月三〇日まで(実治療日数二一日間)中山外科において通院治療を受け、昭和五三年六月一九日から昭和五四年一〇月一二日まで(実治療日数五八日間)近藤病院において「外傷性頸部交感神経刺戟症状」と診断されて通院治療を受け、昭和五四年一〇月一二日「頭痛、目まい、頸部痛は固定化し、これが今後の後遺病となる」とし、「局部に神経症状を残す」として症状固定の診断を受けたが、昭和五四年一一月一五日から昭和五五年四月二五日まで(実治療日数三九日間)朝霧病院において「頸肩腕症候群」の病名で通院治療を受け、昭和五五年八月一二日から昭和五六年六月一二日まで(実治療日数一四四日間)兵庫医大病院において「外傷性頸部症候群」の病名で通院治療を受け、昭和五六年六月一二日「頸椎XPに著変なくも、右頸屈、頸椎回旋に軽度の運動制限があり、左前斜角筋部に緊張、圧痛を残す」として症状固定の診断を受けたことが認められる。

二  責任原因について

原告と被告東根との間では請求原因2の事実は争いがなく、前記一認定事実によれば、本件交通事故は、右折禁止場所である本件交差点において、右後方の安全を十分に確認することなく、右折転回しようとした加害車両(甲)の運転者である被告東根の過失に起因することが大であるが、被告西絞も、また、左前方の安全を十分に確認することなく進行し、加害者両(甲)の動静に注意すれば、同車両が右折をしようとしているのを容易に発見し、衝突を避け得たのにかかわらず、同車両の右折の発見が遅れた結果、加害車両(乙)を加害車両(甲)に衝突させた過失があるから、被告らは、いずれも民法七〇九条所定の責任がある。

三  損害について

(1)  治療費金一三一万三、七七〇円(文書費金四〇〇円を含む)

前記一認定事実によれば、原告は、本件事故後、頭痛、目まい、頸部痛などの症状を訴え、昭和五二年一一月五日から昭和五四年一〇月一二日まで、山内病院、栗田医院、中山外科を経て近藤病院において通院治療を受け、昭和五四年一〇月一二日、近藤病院において症状固定の診断を受けたものであるが、その症状の内容と治療経過ならびに後遺症状の内容に照らせば、同日、症状が固定したものと認めるのが相当であつて、その後の朝霧病院および兵庫医大病院における通院治療は相当因果関係のないものと考える。ところで弁論の全趣旨によれば、昭和五二年一一月五日から昭和五四年一〇月一二日までの治療費として金一三一万三、七七〇円(文書費金四〇〇円を含む)を要し、これが後記(6)の自賠責保険給付金三一二万円から支払われたことが認められるから、これを治療費として計上する。

(2)  通院交通費 金一二万八、八一〇円

右(1)のとおり、昭和五二年一一月五日から昭和五四年一〇月一二日まで、山内病院、栗田医院、中山外科を経て近藤病院において通院治療を受けた分については、本件事故による受傷との間に相当因果関係が認められるが、その後の通院治療との間には、相当因果関係を認められないのであるから、昭和五二年一一月五日から昭和五四年一〇月一二日までの通院交通費のみを是認すべきところ、弁論の全趣旨によれば、右期間中の通院交通費として金一二万八、八一〇円を要し、これが後記(6)の自賠責保険給付金三一二万円から支払われたことが認められるので、これを通院交通費として計上する。

(3)  休業損害 金二一万七、二五〇円

成立に争いのない乙第九号証、証人松井清二の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当時、二年制の和裁学校である塩原学院に在学中であつて、本件事故による受傷により昭和五三年三月末卒業予定が二か月遅れたが、同校を卒業し、その後、昭和五四年三月ごろから昭和五五年二月ごろまで、株式会社末広昆布の明石工場で包装工として働き、一日平均金二、七五〇円の収入を得ていたけれども、同所を退職し、その後、海星病院に看護婦見習として採用されたものの、患者の便の世話がいやだということで一日働いただけで同所も退職し、その後は就労していないことが認められるところ、前記一認定事実によれば、原告は昭和五二年一一月五日から昭和五三年三月三一日までは、山内病院と栗田医院に通院し、昭和五三年四月一三日から同年五月三〇日までは中山外科に二一日間通院し、同年六月一九日から昭和五四年一〇月一二日までは近藤病院に五八日間通院し、昭和五四年一〇月一二日、同病院において症状固定の診断を受けたものであるが、原告が和裁学校を卒業する予定の昭和五三年三月末ごろから同校を卒業した同年五月末ごろまでは、通院日は休み、通院日以外は通学して所定の課目を修得したものというべく、原告の受傷の部位、程度、症状の内容および後遺症の程度、内容に照らせば、原告は、和裁学校を卒業する予定の昭和五三年三月末ごろ以後からの症状の固定した昭和五四年一〇月一二日までは、通院日は休業を余儀なくするが、通院日以外は就労可能であつたとすることができるのであつて、すくなくとも、一日平均金二、七五〇円の収入を得ることができたものと認めるのが相当であるから、原告の和裁学校を卒業する予定であつた昭和五三年三月末ごろから症状固定日である昭和五四年一〇月一二日までの休業損害は、中山外科および近藤病院における通院期間のうち実治療日数七九日間について、一日当りの平均収入金二、七五〇円の割合による金二一万七、二五〇円の限度で是認すべきである。もつとも、原告が在学した和裁学校は、原告の卒業後の職歴に照らしても、原告の職業訓練のためのものではなく、むしろ、一般家庭の主婦としての技能の修得のためと考えられ、卒業後の就職が具体的に予定されていたわけでもないけれども、原告が本件事故により受傷しなければ、昭和五三年三月末ごろ予定どおり和裁学校を卒業し、就労してすくなくとも一日平均金二、七五〇円の収入を得ることができたものと考えられるから、前記のとおり、原告が和裁学校を卒業する予定であつた昭和五三年三月末ごろから症状の固定した昭和五四年一〇月一二日までの実通院日数について休業損害を是認すべきであると考える。

(4)  逸失利益 金九万三、四一九円

前記一認定の原告の後遺症の内容、程度に照らすと、原告の労働能力の五パーセントが減退し、その労働能力の減退は二年間継続するものと認めるのが相当であるから、一日当りの平均収入金二、七五〇円を基準として、原告の逸失利益を算定すると金九万三、四一九円とする。

〔2,750円+365日×0.05×1.8614(新ホフマン係数)=93,419円〕

(5)  慰藉料 金一七五万円

原告の損害の部位、程度、通院期間、後遺症の内容と程度、その他諸般の事情に照らせば、原告が本件事故によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料額は、金一七五万円をもつて相当と認める。

(6)  損害の填補 金三一二万円

原告が自賠責保険から金三一二万円の給付を受けたことは当事者間に争いがない。

(7)  弁護士費用 金四万円

原告の請求し得る損害額は、(1)ないし(5)の合計金三五〇万三、二四九円から(6)を控除した金三八万三、二四九円であるところ、原告が弁護士である本件訴訟代理人に本件訴訟の提起と追行を委任し、弁護士会所定の報酬規定により報酬を支払うことを約したことが弁論の全趣旨により明らかであるから、本件訴訟の審理の経過、難易度、右認容額、その他諸般の事情に照らし、相当因果関係の範囲にある損害額としての弁護士費用は金四万円をもつて相当と認める。

四  抗弁について

(1)  被告東根の消滅時効の主張について

しかし、弁論の全趣旨により、承認による時効中断の再抗弁がなされたものと解せられるところ、証人松井清二の証言と被告東根本人尋問の結果によれば、被告東根は原告の代理人である松井清二に対し、昭和五二年一二月七日、示談書(乙第一号証)を作成するに際し、本件交通事故による損害賠償債務を承認したことが認められる。もつとも、当時、本件事故が発生して間もなくであり、原告が通院治療中であつたから、被告東根は、不確定な債務額の承認をしたものであるが、本件事故による原告の傷害という同一性の範囲における全部について時効中断の効力が生じたものというべきである。

(2)  被告東根の好意同乗の過失相殺の主張について

本件事故は、原告が被告東根運転の加害車両(甲)に同乗中発生したものであるが、本件全証拠によつても、原告が加害車両(甲)に同乗した経緯、同乗後の挙動などについて、不注意があつたとすることはできないし、前記一認定の本件事故の態様によれば、被告東根の運行供用者責任の一部を制限し、ないしは過失相殺の法理を適用して原告の損害額を減額するのは相当でない。

(3)  被告らの示談成立の主張について

原本の存在ならびに成立に争いのない乙第八号証の原告の署名および原告の宣誓書の署名と丙第一号証の原告の署書を対照してみると同一筆跡と認められるから丙第一号証の原告の作成部分は真正に成立したものと認められ(この認定に反する原告本人尋問の結果は信用できない。)、同号証のその余の作成部分は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められるところ、右丙第一号証によれば、昭和五二年一二月一日、原告と被告東根との間において示談書(丙第一号証)が作成され、右示談書には、原告が本件交通事故によつて被つた損害については「自動車損害賠償責任保険の範囲内で済します」と記載されており、また、前記乙第八号証によれば、同年一二月三日、原告と被告西紋との間において示談書(乙第八号証)が作成され、右示談書には、被告西紋が原告に対し、原告の本件事故による負傷について、「深く謝意を表するとともに治療費につき立替えをすることにより相互円満に示談した」と記載されており、さらにまた、成立に争いのない乙第一号証によれば、同年一二月七日、原告と被告らとの間に示談書(乙第一号証)が作成され、右示談書には「原告の傷害については、被告らいずれかの自賠責保険に被害者請求する」と記載され、この文言につづいて「示談が成立しましたので今後本件に関しては双方共裁判上または裁判外において一切異議、請求の申し立てをしないことを誓約します」と不動文字で印刷された文言が続いていることが認められる。そして、右乙第一号証の作成の経過について被告東根本人は「保険会社の担当社員にすべてをまかしたが、原告が自賠責保険の被害者請求をすることで一切が解決ずみと思つた」と供述し、被告西紋は「自動車の販売会社の者にまかせたが、これで一切が解決したと聞いた」と供述しているが、右乙第一号証の作成に原告とともに立会した原告の父である証人松井清二は「原告が自賠責保険の被害者請求をすることで一切が解決ずみとは考えなかつた」と証言しているのであつて、当時、原告が自賠責保険から給付を受ける保険金の具体的な金額が明示されていなかつたことが窺われるのみならず、証人松井清二の証言および原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告としては、右各示談書は、原告が被害者請求をする自賠責保険金が納得し得るものであれば示談解決する意思のもとに自賠責保険金を受領するために作成したものであつて、被告ら主張のような内容の条件で示談解決する意思を有していなかつたものと認められる。被告らの示談成立の主張は採用しない。

五  むすび

よつて、原告の本訴請求は、原告が被告らに対し、金四二万三、二四九円とうち金三八万三、二四九円に対する本件事故発生日の後である昭和五六年七月一六日から、うち金四万円に対する昭和五七年一〇月二九日(判決言渡の日の翌日)から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うべきことを求める限度において理由があるから認容するが、その余は失当として棄却することとし、民訴法八九条、九二条、九三条、同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 阪井昱朗)

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